吉田隊長の後悔日誌

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zoom RSS 「レッキング・クルー」 伝説のミュージシャンたち

<<   作成日時 : 2017/05/15 08:18   >>

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 私のブログで数回取り上げたことがある伝説のスタジオ・ミュージシャンたちのドキュメンタリー。。やっと観ることができた。。動く「ハル・ブレイン」や「キャロル・ケイ」。。「トミー・テデスコ」。。


解説
 アメリカンポップスやロックンロールの黄金時代である1960年代から70年代に、エルビス・プレスリーやフランク・シナトラら偉大なアーティストたちのヒット曲を手がけた伝説のセッションミュージシャン集団「レッキング・クルー」にスポットを当てたドキュメンタリー。アーティストたちから絶大な信頼を寄せられ最高のサウンドを生み出しながらも、これまでほとんど知られることのなかった彼らの栄光と苦悩を描く。
 レッキング・クルーの伝説的ギタリスト、トミー・テデスコの息子デニーが、父が肺がんに侵されたことをきっかけにカメラを取り、数年にわたって父をはじめとする関係者らにインタビューを敢行。「ザ・ビーチ・ボーイズ」のブライアン・ウィルソン、ナンシー・シナトラ、シェールらそうそうたる顔ぶれのアーティストたちがレッキング・クルーについて語るほか、実際にレッキング・クルーが演奏しているオリジナル楽曲の数々を全編に散りばめ、その全貌を明らかにしていく。


作品データ
原題 The Wrecking Crew
製作年 2014年
製作国 アメリカ
配給 ジェットリンク、エレファントハウス、カルチャヴィル
上映時間 101分



画像

解説、写真:「映画.com」より(http://eiga.com/movie/83911/




 これぞ観たかった映像!
 アメリカン・ポップスを牽引した実力派ミュージシャンたちの貴重な記録である。。
 私のように60年代、70年代に若い日を送ってきた音楽好き人間にとっては垂涎のフィルム。。

 「レッキング・クルー」とは60年代、70年代にロサンゼルスで活動していたスタジオ・ミュージシャンの呼称。。この名前はあとから自嘲気味に名付けたものらしい。。その意味は「壊し屋」。。そしてその数は5、6人とも「いや20人はいたんじゃないか。。」と当人たちもはっきりしない様子だ。まあ、大人数で構成された入れ替え自由なバンドみたいなものか。。とも思う。。
 彼らは当時のジャズやポップからロックに移行する時代の音を作り出した。。アメリカ音楽の中心はNYから西海岸に移行していったのだ。。

 この映画を観て感心するのは彼らがただ与えられた譜面どおりに演奏する類のミュージシャンではなかった。。ということ。。彼らに与えられるものはコード譜だけ。。そこから「レッキング・クルー」は自分たちでテンポやアレンジを考えていったらしい。。(彼らが譜面を読めなかったというわけではない。。)
 「ハーブ・アルファート」の「テイスト・オブ・ハニー」のイントロのバスドラ2小節はバスドラでカウントをとる「ハル・ブレイン」のくせ(普通のドラマーはスティックでカウントをとる。。)をそのままいただいたのだそうだ。。

 元々は「レッキング・クルー」の一員だったのがやがて歌手として独り立ちした「グレン・キャンベル」は語る。。「こんなイントロはどう?とキャロル・ケイがベースを弾いたんだよね。。」
 みずみずしいベースのオブリガードから始まる「ウイチタライン・マン」はこうして生まれた。。

 彼らの仕事の初期のものはシェリー・ヘブレーの「ジョニー・エンジェル」にもさかのぼる。。ロネッツの「私のベイビー(Be My Baby)」、ヘンリー・マンシーニの「ピンク・パンサーのテーマ」。。エルビス・プレスリーの曲などなど。。
 その後モンキーズやビーチ・ボーイズなどの影武者バンドだったことも明かされる。。まあ、モンキーズについてはあの頃から自分たちで演奏していないだろう。。と見当はついていたが。。
 モンキーズ・ドラム担当?の「ミッキー・ドレンツ」もこの映画で告白する。。「ボクらは音楽家ではなかった。。役者だったんだよ。。アルバムに演奏者の名前をクレジットしなかったのはプロデューサーの意向だけど。。それがよかったとは思わない。。」
 しかし天下のアメリカン・バンド「ビーチ・ボーイズ」ですら「レッキング・クルー」の演奏だったとは。。それを理解し許容したのは「ブライアン・ウィルソン」だったらしい。。その交友は「ペット・サウンズ」にまで続いていく。。
 
 アメリカのバンドが実は「レッキング・クルー」の演奏だったという例は少なくないようだ。。「ザ・バーズ」の「ロジャー・マッギン」は言う。。「私だけがスタジオ入りを許された」。。「ザ・バーズ」の象徴ともいうべきロジャーの12弦ギターが不可欠だったのだろう。。
 一応は演奏のできる人間を集めたと思われる「ゲイリー・ルイスとプレイボーイズ」のメンバーもスタジオで自分たちの曲を「レッキング・クルー」が録音するのを目の当たりにし「こんなの自分たちにはムリだ。。」とぼやいた。。と言う。。このように「レッキング・クルー」がアレンジし演奏したお手本をあちこちのライブで披露していたバンドやグループは少なくないはず。。
   
 「ナンシー・シナトラ」「シェール」「ハーブ・アルファート」。。モンキーズの「ミッキー・ドレンツ」「ピーター・トーク」などが「レッキング・クルー」との想い出を語る姿も見ていて楽しい。。
 「レッキング・クルー」メンバーである「リオン・ラッセル」がまるでかつての「ムッシュかまやつ」さんを思わせる雰囲気になっているのには驚いたが。。「バングラデシュのコンサート」の頃の精悍でちょっとコワそうな面影はない。。

 アメリカン・ポップスになくてはならない「レッキング・クルー」ではあったがやがて仕事は激減。。その理由は「時代が変わり、ファンは自分たちで演奏できるバンドを望むようになったんだ。。」と述懐する。。そのとき「バッファロー・スプリングフィールド」の写真が映るがこういった現象の発端はむしろビートルズをはじめとするイングリッシュ・インベージョンの影響だと思うが。。


 この映画の監督は「デニー・テデスコ」。。「トミー・テデスコ」の息子さんだそうだ。。構想20年とのこと。。
 この人の本業は何だろう。。と調べたら「IMAC社の映像クリエイター。。」純然たる監督業の人ではないということだな。。ある程度納得。。というのは、この映画。。ちょっと散漫。。焦点が定まらない感じが。。
 おそらく「デニー・テデスコ」は最初、父親の物語を撮ろうとしたのではないのだろうか。。それが最終的に「レッキング・クルー」全体の映画にならざるを得なかったのでは。。と思う。。
 なんだか「ハル・ブレイン」で始まって、途中「キャロル・ケイ」に寄り道して最後は「トミー・テデスコ」で締められた。。そんな感じ。。
 それでもこれだけの人たちの姿が観られ、その言葉を聴くことができるなんて無上の幸せ。。。






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